『サイコ』と『サイコ』
エッセイの性格上、取り上げる作品の内容、仕掛け、結末などに触れています。ご覧になっていない作品についてはご注意下さい。

更新日:2006/08/30
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 ガス・ヴァン・サントって監督は、『ドラッグストア・カウボーイ』とか『小説家を見つけたら』とか『エレファント』とか、けっこう話題になる作品を作ってきた人なんだけれど、一番有名なのはアカデミー監督賞にノミネートされた『グッド・ウィル・ハンティング』かもしれない。
 そのサント監督が1998年に作った映画がリメイク版の『サイコ』だ。

 この『サイコ』が公開されたとき、すごくたくさんの人たちが怒りの声を上げた。映画は、徹底的にコキ下ろされ、酷評された。
 なにせ、この作品、ラジー賞っていうのを取ってしまったのだ。賞を貰ったならいいじゃないかと思う人もいるかもしれない。でも、このラジー賞というのは、その年のワースト作品――最低で最悪だった映画に贈られるという、とんでもなく恥さらしの賞なのだ。そんな賞を押しつけられてしまうぐらい、この作品はクソミソな扱いを受けた。

 そもそも、『サイコ』というタイトルを聞いて、監督の名前をガス・ヴァン・サントだなんて言う人はいない。10人に訊いたら10人、100人に訊いても100人が“アルフレッド・ヒッチコック”の名前を答えるだろう。
 言うまでもなく、ヒッチコックはサスペンス映画の神様みたいな存在だ。そのヒッチコック作品の中でも、『サイコ』はナンバー1に挙げる人もかなりいるほどの、傑作中の傑作なのだ。
 ガス・ヴァン・サントは、そんな作品のリメイク版を作ってしまった。
 しかも、なんと、このリメイク版は、ヒッチコックのオリジナル版『サイコ』と瓜二つと言っていいほどそっくりに作られていた。

 リメイクと言うけれど、普通はけっこう違った印象の作品に作り替えられているものだ。オリジナルをコピーしただけのリメイク版なんて、滅多にあるものじゃない。
 テーマを別の角度から見て新たな光をあてようと試みられていたり、舞台をまったく違った国に設定して雰囲気から変えてあったり、話の大筋は一緒だけど全然違う作品に仕上げられていたり――とにかくリメイク版を作る監督は、オリジナルにはなかった独自の“なにか”をその作品に込めようとする。それが普通だ。
 でもガス・ヴァン・サントが作ったものは、普通じゃなかった。

 まず、彼は新しい『サイコ』のための脚本を用意しなかった。
 クレジットを見ればわかるけれど、脚本はジョセフ・ステファノという人で、彼はオリジナル版『サイコ』の脚本家本人なのだ。ほんのちょっとした書き換えを除いて、脚本はオリジナルのそのままが使われた。
 だから、俳優の喋るセリフだってほとんど全部おんなじ。

 セリフだけじゃない。ガス・ヴァン・サントは、撮影するカットのための絵コンテも、オリジナル『サイコ』のものをそのまま使った。
 つまり、映画のシーン、その1カット1カットの構図も長さもほとんどオリジナルと変わらないのだ。

 まだまだある。音楽も同じなのだ。
 バーナード・ハーマンの作曲によるあまりにも有名な音楽の数々が、そのまま使われている。新たに録音が行なわれて、技術的には良い音質になっているとはいうものの、それらの音楽が鳴り始めるタイミングまでも、リメイク版はオリジナルと一緒なのだ。

 2つの作品の差は、違うところを挙げたほうが早い。

その1

 オリジナルはモノクロ映画だが、リメイク版はカラーになった。

その2

 当然のことながら、キャストが――つまり俳優が全員入れ替えられている。

その3

 映画の冒頭で、ドラマの始まる場所と日時がスーパーで入る。
《アリゾナ州 フェニックス 12月11日 金曜日 午後2時43分》
 というのがオリジナルだが、リメイク版ではこれに《1998年》という文字が書き加えられている。つまり、一応、“現在”という設定にしてあるらしい。

その4

 マリオン・クレーンが横領する金額が、オリジナルでは4万ドルだが、リメイク版では10倍の40万ドルに増額されている。
 これも、1998年に起こった事件という形を取りたかったからなのだろう。

その5

 ヒッチコックは、『サイコ』の最初のシーンに、ヘリコプターを使った空撮を計画していた。
 フェニックスの町を俯瞰で移動しながら、カメラはあるホテルに近づいていく。そのホテルの窓の1つがどんどんスクリーンに大きく映し出され、窓の隙間から部屋に潜り込んだカメラがベッドに横たわっている男女をとらえる――そんなオープニングを考えていた。
 しかし、1960年の撮影技術ではそのプランが実現できず、町の風景をパンで映し出しながら、そのパンを何度も重ね、次第にホテルの窓へ寄っていくというものに落ち着いた。
 リメイク版では、このシーンが、当初ヒッチコックの思い描いていたイメージとして再現され、空撮からホテルの室内へ途切れることなく移動するカットに置き換えられている。
 まあ、40年近くの歳月は、技術を格段に進歩させ、不可能だったことも可能にしたというわけだ。

 
 細かい部分ではまだ違うところもあるけれど、これら以外はまったく同じだと言ってしまっても外れはないだろう。ガス・ヴァン・サント監督自身が「95%はオリジナル版の通りに撮った」と言っているんだから。

 映画が公開された途端、非難の嵐が監督に襲いかかってきた。
 なんだ、これ……と、観客は思ったのだ。なんでこんなもの作る必要があったんだよ。
 批評家も、多くの観客も、顔をしかめ、声を荒げて悪態をついた。

『サイコ』のような完璧な作品を、どうして作り直さなきゃいけないんだ!

ヒッチコックを汚す行為だ!

神への冒涜だ!
 僕自身――このリメイク版を観ていやな気分になった一人だった。
 べつにヒッチコックを神格化するつもりはないし、オリジナル版の『サイコ』が聖域だと思ってるわけでもない。でも、このリメイク版は僕に嫌悪感を抱かせた。
 なぜなら――。

 モノクロがカラーになれば映像には奥行きが生まれるはずだし、その表現力もアップしていいようなものだ。
 しかし、リメイク版の映像は、すごく薄っぺらな印象を抱かせる。オリジナルのモノクロ映像が醸し出していた雰囲気や恐怖感が、原色を多用した安っぽいものに変わってしまった。

 一番僕を幻滅させたのは人物たちだった。主要な登場人物5人のうち4人までが、ミスキャストだとしか思えないのだ。
 とくに、ノーマン・ベイツ役のヴィンス・ヴォーンは僕をがっかりさせた。アンソニー・パーキンスがあまりにもノーマンのイメージを強固なものにしてしまっているせいもあるとは思うが、ヴィンス・ヴォーンの筋肉質な図体と軽薄そうな役作りは、最初から“こいつ怪しい”と観客に感じさせてしまう。
 観客をドラマの冒頭から事件の発端まで誘導しなければならないはずのマリオン・クレーン役も、やはりひどかった。ジャネット・リーが見せてくれた人間的な弱さや、危うさの魅力は消え去り、リメイク版のアン・ヘッシュはマリオンから上品さを奪い、ずる賢そうなただのアバズレ女を演じてしまっている。

 つまり、この映画――そっくりにリメイクしているにもかかわらず、それが徹底していないために、いたるところで違和感を生んでしまっているのだ。
 オリジナルを知っているほとんどの観客が、そう思ったのではないだろうか。

 ガス・ヴァン・サントは、『サイコ』をとんでもない駄作に作り替えてしまった。
 これはリメイクなんてもんじゃない。劣悪コピーだ――と僕も思った。

 いったい、なにをしたかったのだろう?
 ガス・ヴァン・サントは、どうして『サイコ』をコピーしようと思ったのか?
○◎○
 
 
○◎○
 そもそも『サイコ』は、ロバート・ブロックという作家が書いた同名の小説を、ヒッチコックが完璧に映画化したものだ。

 1950年代の後半、全米を震え上がらせたエド・ゲインという殺人鬼がいた。その男が、『サイコ』の主人公ノーマン・ベイツのモデルだ。
 このエド・ゲインという実在のサイコキラーは、その特異な犯罪や彼の奇怪な性癖によって、多くの小説家や映画製作者を刺激した。その結果、様々な小説や映画が彼を描くことになったのだ。
 有名なところでは、トビー・フーパー監督による『悪魔のいけにえ』。そして、トマス・ハリスが小説化し、のちにジョナサン・デミ監督によって映画化された『羊たちの沈黙』などがある。
 ロバート・ブロックの『サイコ』も、その中の1つだった。エド・ゲインの異常心理と、彼の一生を支配し続けた母親との関係にテーマを絞り込んで、ブロックはそれを小説にした。

 この刊行されて間もない小説を、ヒッチコックは移動中の飛行機のシートで読んだ。空港に降りたその足で、彼は小説の映画化権を押さえるようにと電話をかけたのだという。
 のちにヒッチコック監督は、小説のどこに興味を惹かれたのかという質問に、こう答えている。
 ただ一カ所、シャワーを浴びていた女が突然惨殺されるというその唐突さだ。これだけで映画化に踏み切った。まったく強烈で、思いがけない、だしぬけの、すごいショックだからね。
 そして用意されたジョセフ・ステファノの脚本は、かなりの細部までが原作に忠実なものだったようだ。ブロックの小説を読んでみれば、それがわかる。
 ヒッチコックの演出は、原作の衝撃的なストーリーを極限まで昇華し、サイコスリラー映画の原点とも言える名作を世に送り出すこととなった。

 映画を観た人ならおわかりだろうが、この『サイコ』は、ラストにとてつもないドンデン返しを持っている。一発逆転の離れワザだ。
 この真相を隠すために、ヒッチコックは映画館での入場制限という、とんでもないアイデアを実行に移した。上映が始まると、映画館はそのドアを閉ざし、次の上映時刻までは絶対に客を入れないのだ。そのおかげで『サイコ』の上映館の前には、常に長蛇の列ができた。
 その入場制限も話題となって、『サイコ』は空前の大ヒットを記録することとなる。
○◎○
 
 
○◎○
 話をガス・ヴァン・サントに戻そう。
 彼は、なぜ『サイコ』をリメイク――いや、コピーしようと考えたのか。

 ガス・ヴァン・サントが、つまらない作品しか作らない三流監督なら、こんな疑問は起こらない。しかし彼は『ドラッグストア・カウボーイ』で鮮烈なデビューを果たし、『グッド・ウィル・ハンティング』や『エレファント』といった独創的で優れた作品を作り続けている鬼才なのだ。

 ガス・ヴァン・サントは、このリメイク版を作ることになった動機を、こう語っている。

 オリジナルの『サイコ』には、どこにも欠点がない。傑作だ。
 ただ、もう誰も観に行かない。
 実際、『サイコ』が公開されたのは1960年だ。
 これを読んでいる皆さんのうち、いったいどれだけの人がオリジナルの『サイコ』を観ているのだろう。観たことがないという人だってかなりいるんだろうし、それ以上に、『サイコ』の存在そのもの、あるいはヒッチコックという監督の存在すら知らない人がいるのかもしれない。

 だから、この歴史的な名作を知ってほしいと、ガス・ヴァン・サントはリメイク版を作った――。

 ある部分は、まあ、納得させられるような言葉でもある。
 でも、どこか腑に落ちない。
 僕の見方がひねくれているのかもしれないが、「ほんまかいな?」と思ってしまうのだ。

 それってさあ……周りのスタッフとか、映画会社を説得するための“言い訳”なんじゃないの?
 ――あまりにも意地悪な見方だろうか。

 監督が映画を作りたくなる動機って、もっとドロドロしたものじゃないんだろうかと、僕には思えて仕方がないのだ。
 過去の名作が忘れ去られないようにするための……なんて、ちょっと飾りすぎてるように感じてしまう。

 僕は、こんなふうに思うのだ。

 ガス・ヴァン・サントは、最初からこの映画がどのような評価を受けることになるか、知っていたんじゃないだろうか。
 オリジナルを知らない観客はともかく、ヒッチコック版の『サイコ』が大好きな人がこれを観たらどんなことを言うか、当然、予想がついていたのではなかろうか。サント監督ほどの人に、それがわからないとは思えない。

 彼のやりたかったことは、そんな非難を受けることも承知の上で、それでもなお、彼にとっては実行する価値のある試みだったんじゃないのだろうか。

 ガス・ヴァン・サントは、ヒッチコックの大ファンだった。あこがれであり、目標でもあった。
 そのヒッチコックの作品を、まるまる作ってみることで、彼はあこがれの大監督にほんの少しでも近づこうと考えたんじゃないだろうか。『サイコ』をそのままの形で再現するという、その行為自体が、ガス・ヴァン・サントの最大の目的ではなかったのか。

 だって、作品の中身を真似るだけではなく、彼はヒッチコックが『サイコ』を製作したときのスケジュール表まで手に入れ、撮影進行を同じ日程で運ぼうとしていたらしいのだ。
 そんな必要が、どこにあるのか?
 そっくりに作るために、スケジュールまで一緒にする必要など、なにもないではないか。

 コスプレという趣味を持った人たちがいる。
 アニメの登場人物と同じ衣装を身にまとい、そのキャラクターになりきる。そして彼らは、大好きなアニメの世界にどっぷりと身を浸し、至福の時間を過ごす。
 ガス・ヴァン・サントが『サイコ』をリメイクした動機も、それだったのではなかろうか。

 彼は、“ヒッチコックという衣装”を身にまとってみたかったんじゃないんだろうか。

 ノーマン・ベイツは、母親の服を着て、部屋の中を歩き回った。そうすることによって、ノーマンは自分を支配している母親になりきることができた。
 ノーマンのモデルにされたエド・ゲインは、死体の皮を加工して作ったチョッキを着て踊ったという記録さえある。

 ガス・ヴァン・サントは、『サイコ』をリメイクし、そのすべてをコピーすることによって“ヒッチコックを着よう”としたのではないだろうか。

 僕には、そんな気がしてしょうがない――。

イラスト:白根ゆたんぽ
【DVD情報】
オリジナル版 『サイコ』
●オリジナル版
『サイコ』
監督: アルフレッド・ヒッチコック
脚本: ジョセフ・ステファノ
初公開日: 1960年9月
出演: アンソニー・パーキンス/ジャネット・リー/ジョン・ギャヴィン/ヴェラ・マイルズ他
 
形式: Black & White, Widescreen
言語: 英語, 日本語
ディスク枚数: 2
DVD販売元: ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
DVD発売日: 2005/12/23
時間: 108 分
リメイク版 『サイコ』
●リメイク版
『サイコ』
監督: ガス・ヴァン・サント
脚本: ジョセフ・ステファノ
初公開日: 1999年9月
出演: ヴィンス・ヴォーン/アン・ヘッシュ/ジュリアン・ムーア/ヴィゴ・モーテンセン他
 
形式: Color, Widescreen, Dolby
言語: 英語, 日本語
ディスク枚数: 1
リージョンコード: リージョン2
DVD販売元: ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
DVD発売日: 2006/4/19
時間: 104分
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