『ダイヤルMを廻せ!』と『ダイヤルM』
エッセイの性格上、取り上げる作品の内容、仕掛け、結末などに触れています。ご覧になっていない作品についてはご注意下さい。

更新日:2006/10/2
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 前回は、オリジナルを完全コピーしようとして罵声(ばせい)を浴びることになった監督の話をしたんだけれど、じゃあ、コピーするんじゃなくて改良版としてリメイクする場合はどうなんだろう?
 そんな例を、ヒッチコック作品のリメイク版から、もう1つ見てみることにしよう。まあ、またヒッチコックを引っ張り出すことに、それほど意味はないんだけどね。

 アルフレッド・ヒッチコックが『ダイヤルMを廻(まわ)せ!』という歴史に残る名作を世に送り出したのは1954年のことだ。
 ――大昔だなあ。たぶん、これを読んでる人の大半が、まだ生まれていない。だいたい、これからご紹介しようと思っているアンドリュー・デイビスという監督だって、この映画が公開されたときは、まだ小学校に上がったばかりのガキだったのだ。
 そんな昔の映画が、ほぼ半世紀を経た1998年に『ダイヤルM』というタイトルの映画としてリメイクされた。

 このアンドリュー・デイビスは、アクション映画の得意な監督で、有名なところだと『逃亡者』とか『チェーン・リアクション』なんて作品がある。最近では、例の9・11テロの影響で公開延期が話題となった『コラテラル・ダメージ』もあるけれど、その前の『穴/HOLES』という作品が僕は好きだ。ルイス・サッカーって小説家が書いた児童文学の傑作を映画化したもので、地味だけれど、とても不思議な感覚に包み込まれるような映画だった。

 さて『ダイヤルMを廻せ!』が歴史に残る名作だと書いたけれど、当のアルフレッド・ヒッチコック本人にとっては、この作品はさほど気に入ったものじゃなかったらしい。それはたぶん、“大人の事情”ってヤツが関係してるのだ。

 当時ヒッチコックは映画会社ワーナー・ブラザーズと契約を交わしていた。契約の詳しい内容はもちろんわからないが、当然、年に1本とか2年に1本は映画を作らなきゃいけないって約束に縛(しば)られてる立場だったんだと思う。
 しかし、その前の『私は告白する』という映画のあと、ヒッチコックには作品がなく、1年以上間が空いてしまっていた。だから、とにかくなにがなんでも何か1本撮らなくちゃいけなかったのだ。大急ぎで映画を作らなきゃならなかったという事情が、監督にしてみれば、この作品の記憶を後味の悪いものにしてしまったのかもしれない。(事実、ヒッチコックはこの『ダイヤルMを廻せ!』を、たった35日間で撮り終えたのだそうだ)
 つまり、この映画は、ヒッチコックがどうしても作りたいと思っていたものではなかったってわけなのだ。
 そんなことを聞かされると、観るほうのテンションも下がってしまいそうだけれど、でも、監督の気持ちがどうあれ、『ダイヤルMを廻せ!』は、サスペンス映画の大傑作として、いま観ても僕たちを興奮させてくれる。

 さて、契約を履行(りこう)するために、どんな映画を作ろうかと考えていたヒッチコックの耳に、あるニュースが飛び込んできた。ブロードウェイで大ヒットした『ダイヤルMを廻せ!』という芝居の映画化権を、ワーナー・ブラザーズが買い取ったというのだ。
 よし、乗った。それでいこう、ということになったらしい。
 原作の戯曲を書いたフレデリック・ノットを、そのまま脚本家として招き、ヒッチコックは大急ぎでこの舞台劇の映画化に取り組んだ。

 つまり、ある意味で、オリジナルの『ダイヤルMを廻せ!』もリメイクをやっていたということになる。もちろん、舞台の映画化を“リメイク”とは言わないが、頭のてっぺんから爪先(つまさき)まで全部がオリジナルじゃないという意味では、これも“作り替え”には違いない。

 しかし、ヒッチコックが『ダイヤルMを廻せ!』でやったリメイクと、アンドリュー・デイビスが『ダイヤルM』でやったリメイクとでは、かなり違った意味があるように僕には感じられるのだ。
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○◎○
 『ダイヤルM』を観てみよう。
 もし、あなたがオリジナルを観たことがないとすれば、まあまあ面白かった、という感想を持つかもしれない。事実、サスペンス映画としては、『ダイヤルM』もけっこういいセンをいっている。
 ただ、そんなあなたも、これを歴史に残る名作だとは言わないだろう。『ダイヤルM』の評価としては、せいぜいB級サスペンス映画の良作というところなんじゃなかろうか。

 一方で、オリジナルの『ダイヤルMを廻せ!』は、歴史に名を残す名作として知られているし、多くの監督や映画製作者に多大な影響を与えた古典としての評価が確定している。

 この違いは、なぜだろう。

 アンドリュー・デイビス監督は、『ダイヤルMを廻せ!』を改良しようとして『ダイヤルM』を撮ったのだ。ガス・ヴァン・サントが『サイコ』でやったような、コピーを試みたわけじゃない。オリジナルを超える作品に仕上げるつもりで、この映画を作った。
 なのに、どうして、出来上がった『ダイヤルM』は、オリジナルを超える評価を得ることができなかったのか。

 むろん、前回のガス・ヴァン・サントと同様、アンドリュー・デイビスだってかなりの腕を持った監督だ。公開された作品の評価にはバラツキがあるものの、けっして二流三流の監督ではない。
 「私はオリジナル版のファンであるが、観る度に開拓の余地があるような気分になった」
 というのは、『ダイヤルM』の製作者である1人、クリストファー・マンキャビッチュの言葉だが、デイビス監督にしても考えは同じだったに違いない。
 同様に、製作者のアーノルド・コペルソンはオリジナルについて、
 「この作品を見た途端に刺激的な現代版『ダイヤルMを廻せ!』を作ることが出来ると確信した」
 と語っている。
 監督も製作者も、必ずヒッチコックのオリジナルを超える作品にできると確信して『ダイヤルM』を作った。

 どうして、そうならなかったのだろう。

 それを考えるためには、オリジナルの『ダイヤルMを廻せ!』を観る必要がある。
 観れば、この作品がいかにもこぢんまりとした映画に仕上がっていることに気付くだろう。
 物語のほとんどすべてが、部屋の中だけで進行する。屋外で撮影されたシーンなど、ほんの数えるほどしかない。俳優たちが、閉ざされた部屋の中で延々と言葉を戦わせる。まるで、舞台劇をそのままカメラに収めたかのような造りの映画なのだ。

 いや、“まるで”ではない。
 ヒッチコック自身が、
 「意識的に舞台そのままにやってみた」
 と語っている。
 さらに監督は、
 「劇を映画化するなら当然のことだ。物語を拡げて映画的にするのは、もってのほかだ。劇を撮る時点で、すでに物語は完成している。ヒットの要素であるその構成を変えては、すべてが台無しだ。ただ撮ればいい」
 とまで言っている。
 つまり、ヒッチコックは、あくまでも舞台の『ダイヤルMを廻せ!』を1つの完成品としてとらえ、その完成されたドラマをいかに映画という形で表現し直すかを考えたのだ。

 対して、アンドリュー・デイビスはどうだっただろう。
 彼もまた、ヒッチコックのオリジナルに感動し、それを完成品としてとらえてはいた。しかし、デイビス監督は、そこに物足りなさを感じたのだ。
 その足りないところを見直し、前面に押し出す形で補足し拡大することで、リメイク版を作った。

 では、デイビスがオリジナルに対して抱いていた“物足りなさ”とはなんだったのか。

 それは、『ダイヤルMを廻せ!』が密室劇として撮られた映画だということだったに違いない。オリジナルがあまりにも舞台を意識した造りになっているのが、デイビス監督には不満だった。そこを作り替えればもっと素晴らしい映画になるはずだとデイビスは考えた。
 つまり、ヒッチコックがあえて意識的に選択した方法自体が、デイビス監督には不満だったのだ。

 だから、デイビスはリメイク版をオープンなイメージのドラマとして再構築した。
 時代設定を現代に置き換え、物語自体が持っている“作り物っぽさ”に手を入れて、今の時代にマッチしたリアルなドラマに仕立て上げようと試みた。

 実際、『ダイヤルM』は、かなり土台の部分から舞台設定をオリジナルと変えている。
 登場人物にも“動き”を与え、人間性を重視した性格設定がなされている。オリジナルにはなかったドンデン返しを物語の途中に加え、起こる殺人も1つから3つへ増やした。

 しかし、それだけの工夫をしたにもかかわらず、出来上がった『ダイヤルM』はB級のサスペンス映画にしかならなかった。
 それはなぜなのか。

 それは、“リアリティ”に関するとらえ方の違いにあるのではないか、と僕は思う。
 アンドリュー・デイビス監督には失礼だが、僕は、彼が(そして『ダイヤルM』の製作者たちが)“リアリティ”というものを間違ってとらえているように思えて仕方がない。

 ほんのちょっと、むずかしめの話になるけれど、この『ダイヤルM』というリメイク版は、僕たちに“リアリティ”の大切さを教えてくれる格好の教材みたいに思えるのだ。
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 不思議な現象がある。

 デイビス監督は『ダイヤルM』を、現代に即したリアルなドラマに作り替えた。
 にもかかわらず、このリメイク版はどこかウソっぽい。物語のあちこちで「おい、ちょっと待ってよ。そりゃないんじゃないの」という感覚を観客に抱かせてしまうのだ。

 これは、いかにも奇妙な話だ。
 オリジナルの『ダイヤルMを廻せ!』は、ほとんどすべてが室内のシーンだし、登場する人物たちも極限まで整理されていてまったく無駄な配役がない。それこそ、現実にはあり得ないような無駄を削ぎ落とした作られ方をしているのだ。しかし、『ダイヤルMを廻せ!』を観るとき、僕たちはウソ臭さをほとんど感じない。
 むしろ、リアルに舞台が設定されたリメイク版で、ウソの臭いを嗅(か)いでしまうのだ。

 いったい、どうしてなのだろう。

 そもそも、この物語は、話自体がウソっぽい構造を持っている。
 映画に置き換えてしまうとどうしてもサスペンス寄りになってしまうのだが、小説で言えば『ダイヤルMを廻せ!』は“倒叙推理(とうじょすいり)”と呼ばれる類のものだ。物語の早い段階で犯人が明かされ、その犯行を見せながら物語が進行する。追及の手をいかにかわすかというスリリングな駆け引きや、思いがけないドンデン返しと皮肉な結末――そういったハラハラドキドキの展開を楽しむストーリーなのだ。
 つまり、もともとが現実を映し出したドラマではない。人間の弱さや悲しさが描かれたりもするけれど、根本的には物語のあちこちに置かれた“仕掛け”を楽しむことを目的にした推理ドラマだ。
 だから、お話それ自体が、荒唐無稽(こうとうむけい)だったりするのだ。

 妻の財産を狙(ねら)って夫が殺人を計画する。疑いをかけられないように殺し屋を雇い、自分はアリバイを確保する。計画が狂って殺し屋のほうが妻に殺されてしまうが、今度はその妻を殺人犯に仕立てるために第二の計画を実行する――それが、物語の骨格として据えられている。
 社会悪を告発するわけでもなく、人間の生き様の深淵(しんえん)を探ろうというわけでもない。
 ただひたすらハラハラさせ、ドキドキさせ、見終わったあとは、ああ面白かった、とそれだけが残ってくれればいいという――純粋にドラマを楽しめるように作られているものなのだ。

 ヒッチコックは、原作の舞台劇が持っているその娯楽性を、最良な形で表現することに徹して『ダイヤルMを廻せ!』を作った。だから、無駄なものはすべて削ぎ落とされている。
 屋外でのシーンを付け加えたりすれば、展開にゆるみが生まれ、物語の緊迫感が失われてしまう。だから、観客の興味をドラマの一点に絞り込ませるために、あえて映画を密室劇の構成にしたのだ。

 アンドリュー・デイビス監督は、そのヒッチコックが行なった“工夫”を捨ててしまった。物語の骨格がそのままなのに、舞台や登場人物をリアルに再構成してしまったがために、逆に不自然な骨格を観客の前にさらけ出してしまった。
 舞台がリアルだからこそ、観客は思うのだ。
 「え? そんなに簡単に人を殺す仕事を引き受けるヤツなんているかよ」
 「殺すのを引き受けといて、なんでこの野郎、彼女に未練持ってるの? だいたい、彼女を欺(だま)そうとしてたわけだろ?」
 「なんだよ、この警察。もう1台ケータイ持ってる可能性ぐらい、最初から考えろよ。なにが完璧(かんぺき)なアリバイだよ」
 つまり、リアルに描くことと、リアリティを持たせることとは、まったく違うものなのだ。
 それをデイビス監督は取り違えたのではないだろうか。

 彼は、オリジナル版の素晴らしさや面白さが、表現の選択に大きくかかわっていたことを見逃してしまったのではないかと思う。
 オリジナル版における最大の長所を“物足りない”と感じてしまったその時点で、すでにデイビス監督のリメイク版は“改悪”に向かってまっしぐらな状態になっちゃったんじゃないかと、僕は思う。

 最後に、もう一つだけ。
 リメイク版の『ダイヤルM』という日本語タイトルは最悪だと思う。原題の A Perfect Murder (完璧な殺人)のほうが遙(はる)かによかった。
 なぜなら、リメイク版に『ダイヤルM』というタイトルは、なんの意味もないからだ。

 もともとの『ダイヤルMを廻せ!』は、原題を dial M for Murder という。
 これは「ドはドーナツのド」みたいなもので「MはMurderのM」というよくある語呂(ごろ)合わせを使った言葉遊びのタイトルなのだ。アメリカの昔の電話にはダイヤルにアルファベットが記されていたことから「ダイヤルMは殺人のM」とシャレてみたってことなんだね。
 オリジナル版では、ダイヤル「M」を回すというシーンが緊迫感を持って描かれている。
 だけど、リメイク版のほうは、べつに「M」をダイヤルするわけでもない。まったく無意味だよね。

 オリジナルは、遊び心がタイトルにも現れている。リメイク版では、その大切な遊び心が消えてしまったように、僕には感じられてしまったのでした。

イラスト:白根ゆたんぽ
【DVD情報】
オリジナル版 『ダイヤルMを廻せ!』
●オリジナル版
『ダイヤルMを廻せ!』
監督: アルフレッド・ヒッチコック
脚本: フレデリック・ノット
初公開日: 1954年10月
出演: レイ・ミランド/グレース・ケリー/ロバート・カミングス/アンソニー・ドーソン他
 
形式: Color, Dolby
言語: 英語、日本語、ポルトガル語
ディスク枚数: 1
DVD販売元: ワーナー・ホーム・ビデオ
DVD発売日: 2006年4月14日
時間: 105分
リメイク版 『ダイヤルM』
●リメイク版
『ダイヤルM』
監督: アンドリュー・デイビス
脚本: パトリック・スミス・ケリー
初公開日: 1998年9月
出演: マイケル・ダグラス/グウィネス・パルトロウ/ヴィゴ・モーテンセン他
 
形式: Color, Widescreen, Dolby
言語: 英語, 日本語
ディスク枚数: 1
DVD販売元: ワーナー・ホーム・ビデオ
DVD発売日: 2006年10月6日
時間: 113分
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