『七人の侍』と『荒野の七人』
エッセイの性格上、取り上げる作品の内容、仕掛け、結末などに触れています。ご覧になっていない作品についてはご注意下さい。

更新日:2007/3/29
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 黒澤明監督の『七人の侍』が公開されて5年ほど後のことだ。
 ハリウッドで、ある異変が起こった。最初、その異変の中心にいたのは、俳優のユル・ブリンナーだった。
『七人の侍』を観たときのことを、彼はこう語る。
 これは西部劇だと思った。作ったのが日本人だというだけだ。全体像は、まさしく西部劇だった。
 家に帰ってから、東京の弁護士に電話したんだよ。彼は親友なんだ。時差があったけどつかまえられた。『七人の侍』の全権利を買うように頼んだんだ。で、翌朝には、全権利が私のものだという電報を受け取ったよ。
 もちろん『荒野の七人』を作るためさ。
 驚いたことに、このときに支払われた金額は、たったの250ドルだったのだという。
 半世紀前には、1ドルが360円程度だったのは事実だが、それにしても、250ドルは9万円でしかない。ユル・ブリンナーたちは、『七人の侍』をリメイクする権利を、わずか9万円で手に入れたのだ。(注)

 ただ、これがあまりにも安すぎると感じるのは、すでに黒澤明の評価が固まってしまった現在だからかもしれない。
 なぜなら、当時のハリウッドでは、日本映画をリメイクするということ自体が、まず有り得ないことだったからだ。アメリカで、そんなことを考える者は誰もいなかった。
 広島と長崎に原子爆弾を落として日本を降伏させてから、まだそれほど経ってはいない。アメリカにとって、日本はちっぽけな後進国に過ぎなかった。

 日本の映画が、オリジナル?
 笑わせんじゃないよ。そんなのロクなもんであるわけないだろが。
 だいたい、日本って、どこにあるんだよ?

 ところが、この東洋の小国で作られた映画は、ハリウッドに凄(すさ)まじい衝撃を与えることになった。
 実際、後に『荒野の七人』に出演したジェームズ・コバーンは、『七人の侍』を立て続けに12回も観たのだという。DVDはもちろん、ビデオだってない時代だ。映画を観るには映画館へ行かなきゃならない。コバーンは、映画館に12日間毎日通い詰めたのだ。

 『荒野の七人』の制作に当たっては、ゴタゴタした紆余曲折(うよきょくせつ)もあったらしい。プロデューサーが変わり、監督が変わり、脚本家も変わった。権利を巡って裁判までが開かれた。
 でも、そういったゴタゴタに、さほどの意味はない。重要なのは、この映画が、日本の作品をリメイクした最初のハリウッド映画であり、そして、そのことが世界の映画の歴史を大きく変える火種(ひだね)になったという事実なのだ。

 『七人の侍』は、映画の歴史を塗り替えた。
 厳密な言い方をするなら、この大傑作は、アクション映画の原点として現在でも輝き続けている。

 黒澤明を師と慕(した)い、神と崇(あが)める映画関係者は世界中のいたるところにいる。
 スティーヴン・スピルバーグは「新たな映画に取りかかる前には、原点に戻るために必ず『七人の侍』を観ることにしている」と語っているし、ジョージ・ルーカスは「クロサワのサムライ映画をSFで再現したくて『スター・ウォーズ』を作った」と語る。
 フランシス・フォード・コッポラ、サム・ペキンパー、シドニー・ルメット、ジム・ジャームッシュ、アーサー・ペン、ウッディ・アレン、スパイク・リー……いやいや、とても書ききれない。黒澤明監督の影響を受けた名監督たちだ。

 ただ、当初はやはり日本の映画に対する注目度は低かった。
 『羅生門』がヴェネチア国際映画祭での金獅子賞をはじめとして、各国の様々な賞を受賞し、『生きる』がベルリン国際映画祭の上院特別賞、そしてこの『七人の侍』もヴェネチア国際映画祭銀獅子賞を獲ったとはいうものの、黒澤明は、まだまださほど知られていない東洋の一監督に過ぎなかった。
 そのクロサワを世界的に有名な監督に押し上げるきっかけになったのが、ジョン・スタージェス監督による『荒野の七人』だったのだ。

 『七人の侍』と『荒野の七人』を見比べると、やはり本家・黒澤のほうが格段に上だという感覚を抱かせる。しかし、とはいっても、『荒野の七人』が西部劇の傑作であることも、間違いはない。傑作だったからこそ、この映画は世界中を魅了した。
 ヒットは作品をシリーズ化させ、『続・荒野の七人』『新・荒野の七人/馬上の決闘』『荒野の七人/真昼の決闘』と、3作が作られた。さらに、テレビでも『荒野の七人』が連続ドラマとして大ヒットした。(ただ、質的には崩落(ほうらく)の一途を辿ったのだが)

 このヒットは、当然のことながら、多くの人々の目をオリジナル『七人の侍』、そして、黒澤明に向けさせることになった。リメイク版に後押しされるような形で、クロサワは世界に名を轟(とどろ)かせることとなったのだ。

 イタリアの映画監督セルジオ・レオーネは、クロサワ映画に魅了され、黒澤作品『用心棒』をリメイクし、ハリウッドの向こうを張って『荒野の用心棒』を撮った。そして、この作品がきっかけになって、イタリア製西部劇――いわゆる《マカロニ・ウエスタン》が次々に生み出されることにもなった。
 余談だが、『荒野の用心棒』の主役を務めたクリント・イーストウッドが、その後どんな活躍をすることになったかはみなさんもご存知のことだろう。

 黒澤作品がその後の映画に与えた影響は計り知れない。
 単に、無数のリメイク映画を生み出しただけではない。リメイク作品を、さらにリメイクする映画が世界中のあちこちで作られることになる。いわば、〈孫リメイク〉〈曾孫(ひまご)リメイク〉……が出現していったのだ。

 つまり、黒澤作品は、巨木の幹のようなものだ。
 幹から無数の枝が四方へ伸び、そのそれぞれの枝から、また小枝が伸びてゆく。さらに枝についた果実が落ちて、新たな芽が大地から顔を出す。
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 黒澤映画を観た人々が――とりわけ、映画の製作に携(たずさ)わっている人たちが、こぞって影響を受け、リメイクの誘惑に駆られ、真似をしたいと思い、クロサワの後に続こうとする。

 それは、なぜなのか?

 いったい、黒澤映画の何が、彼らを動かすのだろう?
 例えば、『七人の侍』のどこが、監督たちに衝撃を与えたのか――?

 『七人の侍』の筋立ては実にシンプルだ。
 戦国時代――誰も彼もが飢えに苦しんでいた時代。舞台は、そんな戦国の世の小さな山村だ。そこには貧しい農民たちの暮らしがある。
 戦乱からはじき出された野武士の一党が、彼らの村を襲う。彼らが苦労して作った米を奪い、女を攫(さら)う。
 農民は、悩んだ末、食い扶持(ぶち)に困っている浪人を用心棒として雇うことにする。報酬は、腹一杯飯を食わせるというそれだけなのだが。
 そして、雇われた七人の侍と農民たちの、野武士との戦いが始まる――。

 この映画が公開されて半世紀経った僕たちには、このストーリーのどこが衝撃的なのか、あまりピンとこないかもしれない。
 しかし、『七人の侍』が作られるまでの時代劇といえば、お殿様やお姫様、剣豪やお代官さま、あるいは幽霊が登場する怪奇劇――といった、歌舞伎の流れを汲(く)む作品しかなかったのだ。
 貧しい農民と、食いっぱぐれの浪人たちが主人公の話など、どこにもなかった。
 黒澤監督は、七人の侍をとりまとめるリーダー勘兵衛に、次のような台詞(せりふ)を与えた。
 腕を磨く。そして戦(いくさ)に出て手柄を立てる。それから一国一城の主(あるじ)になる。
 しかしな、そう考えているうちに、いつの間にか、ほれ、このように髪が白くなる。そしてな、そのときはもう、親もなければ、身内もない――。
 まず英雄が語る言葉ではない。以前の時代劇では、これは情けなく斬(き)り殺される弱虫の台詞だ。
 しかし、この台詞を口にする勘兵衛が、観客には身近に思え、そしてかっこよく感じられてくる。

 刀と刀で斬り合う戦闘シーンだってそうだ。
 それまでの時代劇では(いや、今も多くはそうだが)、剣劇シーンはまるでダンスのように描かれる。殺陣師(たてし)によって計算され訓練された美しくかっこいい斬り合いが、舞踏のように繰り広げられる。剣豪は、何人の敵に囲まれようと、絶対に斬られることはなく、戦いが終わったあとは息も乱れず、髪型も崩れない。
 しかし『七人の侍』での斬り合いは、ダンスの動きとはほど遠い。第一、侍も野武士も、戦うことに恐怖を持っている。斬り合うのが怖いのだ。動きはぎこちなくなるし、どこかオドオドして見える。勇気を振り絞らなければ、戦うことなどできない。雨の中の戦(いくさ)のシーンでは、全員が泥まみれだ。格好なんて、誰一人、気にしてはいない。

 ヒーローは、それまでの映画では憧(あこが)れの存在として描かれた。主人公たちの立ち居振る舞いは、あくまでもかっこよく、観客の手が届かない存在だった。
 ところが、黒澤監督は、ヒーローを泥まみれにし、飯を食わせてもらうために農民の用心棒を引き受けるような、ちっぽけな存在に引きずり下ろしたのだ。

 例えば、黒澤は、映画の最後に、勘兵衛に次のように語らせる。数人の仲間を失うことにはなったが、野武士の一党を壊滅(かいめつ)させ、勝利した後の台詞である。
 今度もまた、負け戦だったな。
 いや、勝ったのはあの百姓たちだ。儂(わし)たちではない。
 つまり、農作という最も生産的な仕事をして生きている農民たちに、黒澤は勝利のすべてを与えた。
 しかし、生き残った侍たちには、やり終えたという達成感以外のものを与えない。彼らは、以前と同様の、食い扶持を求めて放浪する浪人の生活へ追い戻されるのだ。

 黒澤明は、アクション映画にリアリティを引き込んだ。
 ヒーローは、僕たちと同じ場所からものを見る存在として描かれた。以前の映画では憧れの存在だったものが、突然、自分たちと同じ感覚を持って生きている生身の人間として登場してきたのだ。

 観客にとっては衝撃だった。
 日本の観客だけではない。アメリカでも、ヨーロッパでも、事情は同じだった。

 アクション映画にも、リアリティは重要なのだ。
 リアリティを追求すれば、アクション映画だって、こんなに大きな感動を伝えることができる。
 ――『七人の侍』を観た世界中の監督たちが、それに気づかされた。
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 黒澤映画が残した影響は、内容面だけにとどまらない。映画制作の技術的な分野でも、革命を起こしている。

 黒澤監督は、この『七人の侍』で、初めて〈マルチ・カメラ・システム〉を導入した。
 これは撮影時に、複数台のカメラを同時に回す手法のことだ。『七人の侍』では、戦闘シーンにこの手法が使われた。
 それまでの撮影では、カメラは1台だけだった。激しい戦闘を撮る場合でも、その都度カメラの位置を変えながら、カットごとに撮影がなされていた。

 黒澤監督は、戦闘シーンを撮影する際、何台ものカメラを用意させた。様々な位置にカメラを置き、一斉にフィルムを回して俳優たちに演技をさせた。
 三脚に据えたカメラだけではなく、監督は手持ちのカメラも用意させた。カメラを戦場に持って入らせ、カメラマンも俳優と同じように泥の中を走り回らせたのだ。他のカメラがその手持ちカメラの動きを捉えても不自然ではないように、黒澤監督はそのカメラマンにも俳優たちと同じ扮装(ふんそう)をさせ、メイキャップまで施した。

 この〈マルチ・カメラ・システム〉は、戦闘シーンに凄まじい迫力を与えた。
 スポーツ番組での中継放送を思い浮かべていただけばいい。一連の動きを、何台ものカメラを切り替えて見せることによって緊迫感が生まれる。それを、黒澤監督は、世界で初めてやってのけたのだ。

 その後、〈マルチ・カメラ・システム〉は多くの撮影現場に取り入れられ、現在ではアクション映画を作る際の基本的な技術の1つになってしまっている。
 つまり、この技術によって得られたのもリアリティだった。

 映画に要求されるものは、もちろんリアリティだけではない。しかし、リアリティがどれだけ重要なものかということを、黒澤明は一つ一つの作品で実証してきた。
 それが、多くの映画製作者たちを感動させ、共感させたのだと思う。

 『七人の侍』を観たことがないという方は、是非、ご覧になっていただきたい。
 前編と後編に分かれ、3時間半の長い映画だが、観て損はしない。半世紀前に作られたということも、観る上でのマイナスにはならないだろうと思う。
 そんじょそこらの映画を観るよりも、きっと面白い。その面白さは、多くの人にわかっていただけるだろう。

 そして、これを観た映画監督たちが、リメイクを作りたい、真似をしたい、と思った理由も、なんとなく感じ取っていただけるのではないかと思うのだ。

 DVD版の『七人の侍』に収められている特典映像の冒頭で、黒澤明監督はこう言っている。
 本当に良い映画ってのは、やっぱり、本当に楽しいんだよね。七面倒くさいものじゃないしね。
 本当に良い映画ってのは、大変わかりやすくってさ、面白くって――。

イラスト:白根ゆたんぽ
【DVD情報】
オリジナル版 『七人の侍』
●オリジナル版
『七人の侍』
監督: 黒澤明
脚本: 黒澤明/橋本忍/小国英雄
初公開日: 1954年4月
出演: 三船敏郎/志村喬/津島恵子/藤原釜足/加東大介/東野英治郎他
 
形式: Black & White, Dolby
言語: 日本語
ディスク枚数: 2
DVD販売元: 東宝
DVD発売日: 2002年10月25日
時間: 207分
リメイク版 『荒野の七人』
●リメイク版
『荒野の七人』
監督: ジョン・スタージェス
脚本: ウィリアム・ロバーツ
初公開日: 1961年5月
出演: ユル・ブリンナー/スティーブ・マックイーン/チャールズ・ブロンソン/ジェームズ・コバーン/ホルスト・ブッツホルフ他
 
形式: Color, Widescreen, Dolby, DTS Stereo
言語: 英語, 日本語
ディスク枚数: 2
DVD販売元: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
DVD発売日: 2007年2月2日
時間: 128分
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